top of page

春の探偵日誌 総集編 3

翌週、調査は継続された。前回の張り込みで得られた成果は大きく、浮気の証拠として確実に一歩前進していた。だが、裁判まで見据えた場合には、もう一押しが必要だった。


ree

探偵である私も、依頼人であるクライアントも、その点は重々理解していた。


火曜日。結果から言えば、この日は空振りだった。いつも通り、勤務先を出た浮気妻はバス停へ向かい、そのまま自宅へ直帰。


特段、変わった動きは見られなかった。念のため自宅周辺も軽く見回ったが、不審な車両や人影も見当たらず。調査報告は至極簡素なものとなった。

だが、翌水曜日。浮気妻は再び、動いた。



勤務先を出た浮気妻は、先週とまったく同じように裏手の海岸通りへと歩を進める。タイミングを見計らって、バイク班の調査員が無線を飛ばしてきた。「黒のワンボックス、先週と同じ車両、定位置に停車中です」


この報告を受けて間もなく、浮気妻が現れた。彼女は例によって、トラックの死角を抜けると、そのまま黒のワンボックスの助手席に乗り込んだ。車両は即座に発進し、我々の尾行車両とバイクが慎重にその後を追う。


今回向かった先は、前回とは異なるラブホテルだった。とはいえ、立地の条件は格段に良く、張り込みにはもってこいの場所だ。ホテルの敷地は見晴らしがよく、死角になる物陰も少ない。


しかも、ホテル敷地前には大きめの月極駐車場があり、車内からの撮影が可能だった。


ree

私はここぞとばかりに高倍率ズームのビデオカメラで、二人が車から降りてラブホテルへと入っていく瞬間を録画した。


ラブホテルの看板、入り口、ワンボックスのナンバー、人物の表情、すべてが一枚のフレームに収まるよう、慎重にアングルを調整した。


二人がホテルに入ってからおよそ3時間が経過。再び現れた彼らの姿も、漏れなく記録した。撮影後、バイク班と手分けして、浮気妻と浮気相手のその後の動きも追う。


これでラブホテルの出入りは2回。現在の法解釈では、ラブホテルの出入りが1回であっても不貞の証拠として認められるケースは増えている。だが、当時の判例では慎重な姿勢が求められており、2回では証拠能力に疑念が残る事例も多かった。


特に「出入り2回では証拠としては不十分」とされた有名な敗訴判決が、業界ではしばしば引き合いに出される。


この点を踏まえて、我々探偵側からクライアントへ、調査継続の意向を打診した。「念のため、3回目の証拠も押さえておいた方が安全です」


クライアントは即答した。「お願いします。訴訟も視野に入れているので、完璧な証拠をそろえてください」


こうして、我々の調査方針は次週以降の追跡継続へと固まった。だが、その週末、我々探偵が知らないところで、夫婦の間に小さな波紋が広がっていた・・・


~クライアント宅にて~


ree


週末のある晩。クライアントはいつも通り、リビングでテレビを見ながら妻の帰宅を待っていた。21時を回った頃、玄関の鍵が回り、浮気妻が帰宅する。


「今日は早かったね。車で帰ってこなかったんだね」


クライアントの何気ない一言に、浮気妻の肩がぴくりと反応した。


「……!!!」


その反応は一瞬の沈黙と共に訪れた。浮気妻は何事もなかったかのように靴を脱ぎ、そそくさとリビングへ向かった。


クライアントが、知らぬ間に“知りえないはずの情報”を口にしてしまった失言だった。


探偵は調査中、クライアントへは「浮気妻が車を利用している」といった詳細な日々の行動まで報告している。


浮気妻が車に乗っていたこと、そしてそれがこの日に限ってなかったことを、クライアントが自然と口に出したこと自体が、異常だった。


浮気妻の脳裏に何かが引っかかったのは間違いない。この何気ない一言が、浮気妻の警戒心を引き起こす火種となってしまったのだ。



 ~定例会~


翌朝、俺たちは定例の報告会を開いていた。前日の張り込みで得られたラブホテルでのツーショット写真は、紛れもない証拠だった。


だが、クライアントが望む「完璧な証拠」には、もう一押しが必要なことは全員が理解している。俺は、高倍率ズームで捉えた鮮明な写真を見つめながら、今後の調査計画を練っていた。


「これでラブホテルの出入りは2回。これで裁判に勝てる確率は上がったが、万全を期すなら3回目を押さえるのが理想だ。クライアントも訴訟を視野に入れている以上、手抜かりは許されない」


俺の言葉に、バイク担当の探偵が頷いた。「了解です。次も張り込みの準備は万端にしておきます」

だが、その週末、俺たちの知らないところで、水面下で事態は動き始めていた。



~浮気妻の心情~


ree

金曜日の夜、浮気妻は会社を出ると、そのまままっすぐバス停へ向かった。彼と会う予定だったが、急な残業で約束の時間がずれ込み、結局会うのは諦めた。バスに揺られ、自宅最寄りのバス停で降りる。


いつもの日常。だが、彼女の心には漠然とした不安が渦巻いていた。最近、妙に夫の視線を感じることが増えた。気のせいだろうか。


玄関の鍵を開け、明かりのついていないリビングの奥から、夫の気配を感じた。


「今日は早かったね。車で帰ってこなかったんだね」


夫のその言葉に、浮気妻の心臓が「ドキン」と大きく跳ねた。背中に冷たい汗が伝う。

(なぜ……なぜ、車で帰ってこなかったことを知っているの?)


浮気妻はハッとした。彼と会う日は、彼が送ってくれる彼の車、つまり黒のワンボックスに乗って帰宅することがほとんどだ。


だから、自宅までバスで帰るのは、彼と会わない日か、会っても途中で別れて公共交通機関を利用する日だけ。


夫は、自分が彼と会っている日に車で帰宅し、会わない日はバスや電車で帰宅していることを、まるで知っているかのように言ったのだ。普段、夫は彼女の帰宅方法など気にも留めないはずなのに。


彼女は夫から目をそらし、曖昧に言葉を濁した。「ええ、まあ」


だが、心臓の鼓動は早まるばかりだった。夫の表情を盗み見るが、特に変わった様子はない。しかし、その言葉の裏に隠された意味を、彼女は敏感に察知していた。


(もしかして、夫は私を疑っている? そして、本当に探偵を雇っているのか?)


彼女の脳裏に、数日前の出来事がよぎった。会社からの帰り道、見慣れないバイクが何度か視界に入ったこと。たまたま、と思っていたが、今思えば不自然だった。


気のせいだと打ち消そうとしていた違和感が、夫の言葉で一気に現実味を帯びてきた。


不安が募る。夫はこれまで、彼女の行動に無関心だった。それが突然、このような言葉を発する。


それは、これまで築き上げてきた平穏な日常が、音を立てて崩れ去っていくような感覚だった。


(このままではまずい。何か手を打たなければ……)


彼女の心に、焦燥感が募っていく。次の行動をどうすべきか。夫の言葉が、彼女の警戒心を決定的に引き起こした瞬間だった。これまで以上に慎重に、そして狡猾に立ち回らなければならないと、彼女は強く決意した。


「疲れたから、もう寝るわ」


そう言って、早々に自室へと引きこもった。夫に背を向けたその顔には、決意とも諦めともつかない複雑な感情が入り混じっていた。



最終日の誤算 ~張り巡らされた警戒網~


ree


翌週、我々の調査は継続された。クライアントの依頼は「完璧な証拠」の確保。既にラブホテルの出入りは2回押さえているが、万全を期すにはもう一押しが必要だと判断していた。


俺たち探偵は、これまで通りの手順を踏めば、問題なく3回目の証拠も撮れると楽観的に考えていた。しかし、その楽観が、後に痛恨のミスとして響くことになるとは、この時の俺たちは知る由もなかった。


最後の調査日となる火曜日。いつものように、俺は張り込み車両の運転席に座り、会社のエントランスに目を凝らしていた。先輩探偵は助手席で資料を確認し、無線を介してバイク班と連携を取っている。


すべてが手慣れた手順で進むはずだった。


午前10時過ぎ、オフィスビルの駐車場から、一台のシルバーのコンパクトカーが姿を現した。見慣れない車種だ。だが、その運転手の顔を見た瞬間、俺の視界がにわかに固まった。


「あれ……? 今の車の運転手、浮気相手じゃないですか?」


思わず声が出た。数秒の出来事だったが、その顔は確かに、前回ラブホテルで浮気妻と連れ立っていた男と瓜二つだった。だが、彼の愛車は黒のワンボックスのはずだ。


しかも、つい先ほど、バイク班からの報告で、そのワンボックスが会社の駐車場内に停まっていることを確認したばかりだった。


「見間違いじゃないのか?」


リーダーである先輩探偵が、冷静な声でそう言った。彼の声には、俺の指摘に対する確信の薄さが含まれていた。


無理もない。車両が違うし、浮気相手の本来の車は駐車場にあるのだから。俺自身も確信が持てず、ただの気のせいかと自分を納得させようとした。しかし、胸のざわつきは消えなかった。


しばらくして、浮気妻が会社のビルから出てきた。彼女は、いつものように裏手の海岸通りへと歩を進める。


その足取りには、以前のような隠蔽の慣れのようなものはなく、むしろ頻繁に周囲を警戒するように、何度も後ろを振り返っているのが見て取れた。

その仕草は、まさに獲物が猟師の存在に気づいたかのような、不自然な警戒だった。


先輩探偵の指示に従い、俺は車を海岸沿いに回した。いつもの待ち合わせ場所、トラックの死角になる場所に、黒のワンボックスは無い


浮気妻は、トラックの影に隠れるようにして、こちらからは見えない位置に身を寄せた。今までなら、既に浮気相手が定位置で彼女を待っているか、すぐに現れるかのどちらかだった。


後から浮気相手が来ることも十分に考えられたが、彼女の妙な落ち着きのなさが、ただ事ではない雰囲気を漂わせていた。


10分ほど経過しても、浮気相手の車は来る気配がない。時間だけが無為に過ぎていく。


痺れを切らしたのか、浮気妻は突然、トラックの陰から出てきて、ひとりで歩き出した。向かったのは、駅へ向かうために使うバス停だ。バスに乗車するつもりらしい。


「行動がおかしいです。この調査はここで中止にするべきだと」


俺は先輩探偵に提言した。獲物がここまで警戒心を露わにしている以上、これ以上の尾行はリスクが高すぎる。バレる可能性が高い。しかし、先輩探偵は俺の言葉に耳を貸さなかった。


「とりあえず、バスに乗車してくれ」


彼の指示は絶対だ。俺は渋々、浮気妻が乗り込んだバスに、数メートル離れて乗車した。バスの中では、浮気妻が頻繁に窓の外を見たり、周囲の乗客を観察するような視線を感じた。


それは、まるで目に見えない何かを探しているかのような、確信的な警戒行動だった。今まで、こんなことは一度もなかったはずだ。


バスを降り、駅へ向かう浮気妻を尾行すると、彼女はさらに頻繁に後ろを振り返るようになった。


もはや、それは「警戒行動かどうか確信が持てない」レベルではなかった。完全にこちらを意識している。


この状況で、これ以上尾行を続行するのは危険だ。


「これはダメでしょう。一旦ここで中断しましょう」


俺は無線で先輩探偵に強く進言した。ようやく、彼は俺の言葉に同意した。

先輩探偵が車で追いついたので、俺はバイク班の調査員と交代する。おそらく浮気妻は、駅のホームにいるはずだ。


交代するため、俺が駅構内を戻っていると、浮気相手らしき人物とすれ違った。


まさか、と振り返る間もなく、彼は人混みに紛れて消えていく。その瞬間、朝見たシルバーのコンパクトカーの運転手の顔がフラッシュバックした。やはり、あれは浮気相手だったのか?そして、なぜ彼はこんな場所に?


俺はすぐにこのことを先輩探偵に伝え、車で待機した。その後、浮気妻は特に変わった行動もなく、無事に家に帰宅した。今日の調査は、何一つ決定的な証拠を得られずに終わった。


その日の夜、クライアントから連絡が入った。電話口の声は、明らかに動揺していた。


「……探偵さん。実は、全部バレていました」


クライアントの言葉に、俺は息を呑んだ。浮気妻が警戒していたのは、まさかそのことだったのか。


クライアントの話によれば、浮気妻は帰宅するなり、彼を問い詰めたという。調査車両のこと、俺たちの風貌、そして、その後に浮気妻を撮影しているところまで、すべて見られていたと。

さらにクライアントは続けた。


「……実は、浮気相手が、二重尾行をしていたそうです」


その言葉に、俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。二重尾行。

つまり、浮気相手が、こちらの動向を探るために別の人間を雇って、我々を探偵と見抜き、浮気妻に伝えていたのだ。


だから、朝、浮気相手がシルバーのコンパクトカーに乗っていたのか。


彼らは我々の目を欺くために、敢えて別の車両を使い、警戒態勢を敷いていたのだ。


クライアントは、しきりに謝罪の言葉を口にした。


「……私が、口を滑らせてしまったんです」


彼は、浮気妻に本来知りえないはずの「車で帰宅している」という情報を口にしてしまったことを自白した。

調査前に、この失言について俺たちに伝えようとしたが、罪悪感から言い出せなかったという。


「もう後の祭りです」


俺は、そう返すしかなかった。もし、クライアントが事前に口を滑らしたことを伝えてくれていれば、我々も警戒を強め、対策のしようはあったはずだ。


幸いなことに、今回の浮気調査は既にラブホテルの出入りを2回押さえており、浮気相手の住所も判明している。裁判資料としては、最低限の証拠は揃っている。


今回の浮気調査はこれで終了となった。しかし、最後に残ったのは、得られた証拠に対する満足感ではなく、後味の悪い敗北感だった。プロとして、相手の裏をかくことができなかった。


いや、相手の方が一枚上手だった。この一件は、俺たち探偵稼業の難しさ、そして油断の恐ろしさを改めて痛感させるものとなった。










hy東京探偵事務所 町田オフィス

 

●TEL:042-732-3534

●FAX:042-732-3263

●所在地:〒194-0013 東京都町田市原町田2-7-6-306

JR「町田駅」ターミナル口より徒歩5分

●代表:黒木 健太郎

●探偵業届出番号:東京都公安委員会30220235号



hy東京探偵事務所 池袋オフィス

 

●TEL:03-6802-8160

●FAX:03-6802-8161

●所在地:〒171-0014 東京都豊島区池袋2-49-13杉山ビル2F JR「池袋駅」北口より徒歩3分

●代表:原田 秀樹

●探偵業届出番号:東京都公安委員会 第30170109号

●探偵業開始番号:東京都公安委員会 第30110315号






コメント


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

Copyright 2008-2016 hy Tokyo Tantei Jimusho machida office All rights reserved.

bottom of page